とんかつとばあちゃんとボク

お正月なので今日も自分ネタです。

今日はお正月の恒例行事、家族で墓参りにきました。ご先祖様に手を合わせて1年の無事と健康を祈ってきました。

ということで今日はウチのお店のルーツ、17年前に亡くなったウチのばあちゃんの話をさせてもらいますね。

ウチの店のルーツ

いつもクレアトールオキ三代目のオキケイタロウですって言ってますが、実はウチのお店の初代がばあちゃんです。商売の創業は昭和27年と聞いてます。冗談抜きでリヤカー引っ張って始めた行商が商売のスタートらしいです。ちなみに「昭和27年 出来事」でググってみたら、「戦後7年目サンフランシスコ講和条約発効で日本の主権回復」の年でした。ボクにとってはもう近現代史の教科書の中の遠い昔の出来事・・・そんな時代に商売を始めたんですね、何か感慨深いです。

生活雑貨から始まって、下着や靴下、子供服を扱って小さなお店を持ち、ボクの父親が体の弱かったじいちゃんの代わりに商売を手伝って、親子二人三脚で商売を頑張って来た。そう言う話をばあちゃんから良く聞いてた記憶があります。

そして、父がその後を継いで昭和46年にブティックとして会社設立してからの今ココ、そんな感じです。

なんか堅い話で恐縮です。

とんかつとばあちゃん

ボクは小さいころからトンカツが嫌いでした。理由はわからなかったけど、なぜか物心ついた頃から苦手やったんです。

食卓に上がってもほぼ手付かずで残して怒られてましたけど、苦手なモノはしょうがない。中学も高校時代もトンカツという食べ物と縁を切ってました。

そして、事件は大学時代の服屋のバイト先で起きました。ボクをかわいがってくれてたバイト先のM店長が「沖君、今日は美味いトンカツ食わしたるわ!」って言ってくれたんです。

ヤ、ヤバい!トンカツや!どうしよ!

まだ店長とそこまで親しくなかったので、断るに断れず連れて行ってもらったお店は大阪梅田の地下街、ホワイティ梅田にある今も元気に営業されてる名店「とんかつ豚晴(とんはる)」。

覚悟を決めて、残した時の言い訳も考えながらブルーな気持ちでM店長おススメの一口かつ定食を頂くことになりました。

 

そして・・・・・・・・・

 

ん、アレ?ナニコレ?

美味いんですけど・・・???

自分の知ってるトンカツとは全く別の物がそこにありました。

そう、当時我が家の食卓は商売の忙しい母の代わりにばあちゃんが作ってくれていました。厳しい時代を生きて来たばあちゃんは何事も質素倹約。今思えば食卓に上がるトンカツは安い豚肉だったのではないかと、そしてそんな幼児体験を持ったボクは「トンカツ=豚の脂身を揚げたもの」だとずっと認識していたようです。

外食などほとんど無かった我が家、外部の情報から遮断されてるって恐いですね~(笑)

ちなみに今も脂身のムニュムニュ感は大の苦手です(笑)

そして今誰よりトンカツの美味しさを味わえるのは、ばあちゃんのおかげやなって思うんです。

墓参りに行ってばあちゃんの事を思い出すたびに、一番印象に残ってるのはそんな不謹慎なエピソードのボクをどうかご先祖様、お許してください!

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さ、正月2日目もあっという間に終了、あとは日頃できなかった積ん読状態になってた本を読んだり、録り溜めてたビデオ観たり、借りて来たDVD観たりしてあと1日ゆっくりしたいと思います。

ではまた、引き続き上機嫌なお正月を!


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沖 啓太郎

1966年大阪市生まれ。 大阪市住之江区の加賀屋商店街にあるクレアトールオキの三代目。 アパレルメーカーと小売業と商店街の経験と情報を駆使しながらファッションを通じて心豊かなライフスタイルを提案できる店づくり心がけています。

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