1月17日の思い出

21年目の今年はなんだか報道も去年より少なめな気がしますが、なるべく風化させたくない記憶、1月17日は言わずと知れた阪神大震災の日。6,400名以上の方が犠牲になった事を忘れちゃならない日です。

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(写真出典:神戸市)

 

その日、普段は目覚まし時計2つでも起きない寝起きの悪いボクでもただ事ではない揺れに目が覚めました。

当時、神戸のポートアイランドにある会社に勤めていたボクは車通勤をしていたので何となく「今日はいつもより早目に出社やな。」くらいの感覚でいました。

でも時間を追うごとにテレビに映るのは神戸の惨状。ヘリコプターからの長田のあちらこちらの火事や横倒しに倒れた阪神高速の映像を見て絶句しました。

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(写真出典:神戸市)

「これはヤバい!」と安否確認しようとしてもすでに電話は神戸へは全然繋がらない。携帯電話はまだそれほど普及していない時代、固定電話が繋がらないと連絡手段はほぼ無しです。

SNSで繋がっている今の時代は21年前からは想像もできないですけど、ボクはポケベルしか持ってなかったんです。でも電話がほぼ不通なのでまったく役立たず。今だから言える事ですが、あの時にTwitterやLINEやFacebookがあれば状況はだいぶ変わってたはずやろなって思います。

おおよその連絡がつくのにまる一日。自宅待機数日、大阪の箕面市にある倉庫での作業を経て神戸に出社できたのは2週間後。それも電車が寸断されてて、いつ来るかわからない振替輸送バスを待ってたり、ある時は大阪天保山から神戸ポートアイランドまで当時運行されてたK-jetという高速船で通勤するという今思えば異常事態でした。

震災の特集番組を見るたび、時間が自分の通勤時間だったら、ボクは車ごと阪神高速から落ちていたり、三宮でビルの瓦礫につぶされてても不思議じゃないなと思うんです。
今生きてるのはたまたまです、というか生かされてるだけなんやと思います。

なぜかというと実は、ボクは震災の半年前まで神戸の灘区に住んでたんです。住んでたハイツは残ってましたが裏の家は全壊してました。神戸に住んでたらどうなってたかと思います。

だから、生きてるだけで丸儲けなんです。

そして1月17日は奇しくもボクの次女の誕生日でもある日なんです。今日10歳になった小4の娘と14歳の中2の娘に、たまたま生かされてる命に感謝する事、自分は被災者ではないけれど、会社が神戸にあったことで震災を体験した事を少しでも子供たちに伝え続けたいと思います。

ではまた。


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沖 啓太郎

1966年大阪市生まれ。 大阪市住之江区の加賀屋商店街にあるクレアトールオキの三代目。 アパレルメーカーと小売業と商店街の経験と情報を駆使しながらファッションを通じて心豊かなライフスタイルを提案できる店づくり心がけています。