モノ自身には価値は無い

この件はブログに書こうか迷った一件です。宝石や金塊のように洋服のモノ自体に価値を認めて買って頂いてた時代があったんだと改めて考えさせられました。

こんにちは、住之江区のクレアトールオキ三代目オキケイタロウです。

もう最近は洋服のお買い物はあまりされなくなった、親の代からのお客様のY様がミンクの毛皮のコートを持ってこられました。ボクの知らない商品なのでたぶん20年近く前のものだと思います。とはいえ、素材はとってもいい物でデザインの古さ以外は何の問題も無いほどです。

Y様「今ね、断捨離してて毛皮のコート4着ほどあるからこの2着を処分したいの」

最初はいくらでもいいから店で引き取って欲しいって言われたんですが、そんなこともできるはずもなく、普通はお断りするだけなんですが、そこは長年のお客様なので何かできる事はと思い、

ボク「いくらでもいいんだったら、買取り業者を代わりに探しましょうか?でも経験上、どんなにいい商品でも二束三文にしかならないのでリメイクして今着れる形にされませんか?もったいないですよ」

と提案させてもらったんですが、頑として処分したいと言われます。結果として買取業者を探すことになりました。

 

服(モノ)自身には価値は無かった

通常、お店で販売するお洋服にはタグ(ブランドネームや素材タグや洗濯ネームやサイズ表示など)が付いています。
しかし理由は不明ですが今回の商品にはそのタグが全く何もないんです。

数軒の買取業者に連絡し近くの1軒に直接持ち込んで査定してもらいました。タグが何もないというのはかなりのマイナス査定なんだそうで、あえて金額は書きませんが悲しい金額でした。お客様の希望金額に全く満たなかったので持ち帰りました。

今回、買取業者さんと話をして分かった事

彼らの基準は世の中の鏡だなと思いました。その商品価値がいくらで流通するかを一番シビアに見てるからこそ、結局は基準がわかりやすいブランド重視になるんです。

その商品の持つ本来の良さやこだわりは、例えば「シャネル」や「フェンディ」のラベルの前には全く何の役にも立たない事がよくわかりました。ノーブランドでも「サガミンク」のような素材タグがあればラベルで価値が出るそうです。

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つまり洋服(モノ)自身には価値は無く、タグの価値に値段がつけられてるという事です。

 

洋服を着て楽しむ体験こそが価値

ファッションは特にそう、着る人が着て嬉しさや楽しさを感じて思い出を作ってもらう事が価値で、それを所有することや資産価値として持つ意味は全くないって事があらためて証明されました。

だからこそ、洋服はいざという時の為にとっておくんじゃなくて、高価なモノは高価なりに、安い物は安いなりにどんどん毎日楽しんで着て欲しいなって思います。
オシャレはプライスレスな体験や思い出が価値なんだから。

あ、全然関係ないですけど買取業者さんはやっぱり金・プラチナが一番好きなんだって!
(換金性が高いからね)

そんな感じなので、自分の『好き』をゆるゆると楽しみながら今日も上機嫌でいきましょう!

ではまた


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沖 啓太郎

1966年大阪市生まれ。 大阪市住之江区の加賀屋商店街にあるクレアトールオキの三代目。 アパレルメーカーと小売業と商店街の経験と情報を駆使しながらファッションを通じて心豊かなライフスタイルを提案できる店づくり心がけています。