父を見送りました

本当に久しぶりにブログ書いてます。今日はファッションにもビジネスにも全く関係のない父の思い出話です。

11/14月曜日、父を見送りました

1週間経ってちょっと落ち着きました。話は逸れますが、人ひとりが亡くなると結構やること多いもんですね。役所や銀行だけかと思ってたら色んな繋がりや連絡漏れやら・・・しばらく片付きそうもないです(笑)

76歳でした、今の時代では早い方なのかもしれません。病に倒れてから42ヶ月ぶりに、ずっと帰りたかった家にやっと帰ってもらうことができました。

それも会場や斎場の関係で4日間も自宅で過ごせる日を選んだかのように急に亡くなりました。自宅に帰りやすいように定休日の日を選び、葬儀の日の雨予報を覆し、そういえばおまけに亡くなる直前に散髪までキッチリ綺麗にしてもらい・・・

実は家族の自分たちが一番ホッとする日を選んでくれたような気がしてならないんです。

どれだけ段取りしていくねんって思いました、ホントにかないません、最期までお見事でした。

父との思い出

せっかくなんで父を偲んで、思い出をブログにと思ったんですが・・・

ボクの幼少期、

宿題で必死で書いた書き取りノートを「心がこもってない!」と言って消しゴムですべて消され涙したり、

忘れもしない「二宮金次郎」の伝記を竹の物差しでしばかれながら1冊まるまる暗唱させられて涙したり、

ささいな兄弟喧嘩をして、揃って店の前で洗面器で水をぶっかけられた挙句、まだ埋め立て工事が出来たばかりの大阪南港に車で連れて行かれて捨てられかけて涙したり・・・

ええ、それはそれはスパルタでした!

酷い話です、今なら虐待で通報されるレベルかもです(笑)

家族写真といえば、正月の神棚の前か墓参りの時に撮ったものばかり・・・

商売で忙しく親父と遊んだ記憶はほぼないけれど、誰と比べるわけでもないのでそんなもんだと思ってました。

そんな頑固で偏屈でクソ真面目で融通の利かない、商売一筋の子供にとっては恐ろしい父でした。

でもそれは、小さいながらも命がけで作り上げた店をなんとか継いで欲しいという気持ちがさせた父なりの不器用な英才教育だったんでしょうね。

そして、父の思惑通り?サラリーマンを経て実家の商売継承の為に戻り17年目になりました。

しかし、そんな父と親子で毎日顔を突き合わせ一緒に仕事をするという事はなかなか一筋縄ではいかない。

親子だから分からないでいい部分が見えてしまう。

親子だから分かって欲しい所が理解されないと腹が立つ。

親子だから言わなくていい一言をつい言ってしまう。

なかなか和気藹々と・・・というわけには行かずお互いにストレスのたまる、そんな感じでした()

それもそのはず、

昭和30年代、夜間高校へ通いながら昼間は祖母を支えて一日中小さな商売を手伝う毎日だったらしいです。

10代で税務署相手に丁々発止したみたいです。

病弱な祖父を背負って銭湯に通ってたそうです。

ボンボン育ちの自分には到底わからない苦労をしてきたからこそ、伝えたいことがたくさんあったんだと思います。

そんな話を聞くと自分は親孝行らしいことは何にもできてなかったなと、もう遅いですが反省です。

父の伝えたかったこと

そんな父の伝えたかった事は何だったかというと、

「目の前の人の立ちいくことを願うこと」

何らかのご縁で自分の目の前にいる人が仕合わせになることを願うことでした。

自分の周りの人の仕合わせが自分の仕合わせという生き方でした。

お通夜・告別式で驚くほどたくさんの人に父へのお礼の言葉を頂きました、それが答えなんだと思います。

父の真似は到底できませんが、ありがとうを頂ける生き方とてもカッコイイと思いました。

常に今日1日が最幸・最良の日

ある人から言われました。

「人は病気じゃ死なへんで、その人の寿命で亡くなるんやで!」って

いつ死ぬかなんて誰もわからない、みんな与えられた寿命なんです。
であれば極端な話、今日死んでもいいように、やりたいことを先延ばしせず、今できることをやりきって1日を終えるように過ごしたいなと思うわけです。

目の前の家族や従業員が仕合わせになってもらうことが父が一番喜ぶことだと思うので、あまり肩に力を入れず平常心で頑張ろうと思います。

人間いつかは必ず死にます、だから今日1日が常に最幸で最良の日だと思って過ごせばいいんだと父を見送った日にそんなことを思いました。

では、お仕事楽しんでがんばります!!

最後に一言、

父ちゃん、今までありがとうー!

孫にはスパルタの面影なく、優しかったおじいちゃん

孫にはスパルタの面影なく、とっても優しかったおじいちゃんでした

 

今日は以上です。


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沖 啓太郎

1966年大阪市生まれ。 大阪市住之江区の加賀屋商店街にあるクレアトールオキの三代目。 アパレルメーカーと小売業と商店街の経験と情報を駆使しながらファッションを通じて心豊かなライフスタイルを提案できる店づくり心がけています。